幼い頃から、静けさの中で周りにあるものを観察したり、それを見ながら心の中でイメージを膨らませるのが好きでした。それは時に重たそうに揺れる嵐の後の庭の花たちだったり、また時に人々のふるまい方や生き方、もがきながらも必死に生きようとする様などです。
アートは、周りのものを観察することから始まると思っています。つまり私にとってアートとは、この世と、この世に存在するすべての生命への私の愛を表現するものなのです。
幼い頃からこうした瞑想を重ねることによって、生命や美術の美しさに夢中になり(特にイタリアのプリミティブ・アート)、色塗りに興味を持ち、次第に線を描いて遊ぶようになり、そして絵を描くようになっていきました。
今では、私にとって「描く」ということは、呼吸をすることや考えることと同じくらい、自然で日常的なものになったのです。
アートとは、ほんの一瞬、私の情動のエコー、ダンスの一つの動きなどを表現するものであったり、同時に自由の象徴、魂の美を追求する儚い一瞬、更には大切な人と寄り添うこと、彼らに歩み寄ること、愛することでもあります。
またアートはあらゆることについて見直し、考えさせる機会を与えてくれます。
絵画の中には、いつも時間をかけてよく見ないと見つからない、何かとても慎み深いものが隠れています。これこそが、絵画の本質だといえるでしょう。
感謝の気持ちは、お金のやり取りから生まれるのではなく、人生の一つ一つの出会いによって生まれるのです。共にする一杯のお茶やケーキが、一つの扉を開くことがあるのです。この世を去れば、あの世ではお金は何の役にも立ちません。人々に与え、彼らから与えられた愛だけが、私の心に…そしてこの世に、喜び、生、希望をもたらすのです。
そんな思いから、私の描く一本一本の小さく拙い線たちが、どうか美しい出会いの場に居合わせてくれることを願います。
私の魂の拠り所であるカトリックの名において、私の線たちがキリストと聖マリアの無垢な心に、親子に、そして清い魂に、笑顔を届けられるよう祈っております。このウェブサイトを、彼らと、教皇フランシスコに捧げます。
画材、器具や技術にはこだわりません。私の目にしたものや触れたもの、私の思考、声、手と魂を通して、人々に伝えたい、施したいという思いがあるだけです。そのため、泥を使い、手で絵を描くという手法も使っております。絵を描きながら、歌ったり、美しい音楽や静けさを聴いたりするのです。
〝アート、それは生理的欲求の表現〟